家康と同時代の人々

家康は、自分に屈辱的な大敗を経験させた武田信玄を素直に尊敬し、武田氏の遺臣から信玄の戦術や思想を積極的に学んだ。また源頼朝も尊敬し、頼朝の言動が記録された「吾妻鏡」を愛読していた。その反面、信長のように身分や序列を無視した徹底的な能力主義をとることはなく、秀吉のように自らのカリスマ性や金、領地を餌に釣って家臣を増やす事もなかった。とはいえ、後述のように信長に対しては複雑な感情を持っていたようであり、また秀吉・家康の天下人となった二人とも信長の元にいたことからその影響力が窺い知れる。そのためか、彼らに天下を統一され遅れをとったが、代わりに自身は信頼できる部下だけで周囲を固め、豊臣政権の不備もあって天下人となった。とはいえ、その部下の中には今川氏・武田氏・北条氏等の自身が直接(主導)的には滅ぼしてはいない大名の家臣も含まれているため一種の漁夫の利(統一の際の汚れ役を信長・秀吉が被ってくれた)ともいえる。偉大な先人から学びとり、それを取捨選択しその時流や自分の状況にあう行動をとったことは十分に名君と呼ぶに値するともいえる。家康の仇名として「狸親父」というものがある。
update:2009年09月12日